2019年、囚われのパルマRefrain初回プレイ時にEND3を迎えました。
そのとき使っていたTwitterアカウントを削除してしまったので、感想をこちらに再掲します。
END3の感想
END3のとても長い感想です。終わった瞬間に号泣しました。
チアキさんがストレートに好意を伝えてくれるのは、「最後の最後には君の手を離す」と決めているからじゃないだろうか、とずっと思っていた。「いまだけだから」「ガラス越しだから」ってそう考えているんじゃないかと。
手を離さなければならない、とチアキさんが考えてしまうのは、相談員の元の生活が彼がどんなに手に入れたくても手に入れることのできなかったものだから。家族がいて、友人がいて、働いたり遊んだり、そういう平凡で当たり前のような生活が、当たり前でないことを彼はよく知っている。それを捨ててまで自分の傍にいてほしいなんて、言えるはずがないのだと思う。
チアキさんがクロイワ氏に一体何をされていたのか、何を目的に彼を養子にしたのか、明言はされていない。けれど、その体にタトゥーを入れられたこと、そしてチアキさんが怖くて、逃げ出したくてたまらなくて、ナイフを振り回してしまうくらいの何かが起こっていたことを知っている。
内容は何にせよ、その何かとは「虐待」なのだろうと思う。ずっとたくさん我慢をしてきたし、必要ならば痛くても、苦しくても、我慢ができてしまう。「淡々と最善手を打ち続ける」ことが、できてしまう。彼はそうやって生き延びてきたのだし、それが当たり前だと思っている。
だから、相談員の幸せのために自分ができることが「君の手を離す」ということならば、きっとどんなに苦しくてもつらくても我慢できる、と思うのだろう。収監されている間、相談員のために何もできなくて悔しい思いをしてきたチアキさんだから、「彼女のため」とでも言われれば、誓約書のサインを拒むことなんてできなかっただろう。
相談員と出会ってはじめて「人を好きになる気持ち」や「幸せ」という感情を知ったチアキさんは、自分の幸せとは何なのかをきっとまだよく分かっていないと思うし、自分が幸せになってもいいとも思えなかった。
ずっと自分を罰し続けてきた彼(とてもつらい気持ちになった時に、ベッドの上でも椅子でもなく、冷たい床に座って頭を抱える癖のある彼を抱きしめてあげたかった。)にとって、幸福になることは恐ろしくもあったかもしれない。
私は想像する。チアキさんにとって、相談員からの差し入れはきっとすごくすごく嬉しいことだったんじゃないかな、と。保護者のいなかった彼が、あれが必要なんじゃないか、これが好きなんじゃないかってあれこれ考えてもらって、何かを用意してもらったのって初めてだったんじゃないだろうか。なんでもない話をたくさんして、素の自分を晒して、怒ったり、泣いたり、心配したり……、全部ぜんぶ初めてで、大切で、そんな存在がこの世界にいてくれるだけで嬉しい、幸せだって思っただろうなと思う。
自分の幸せよりも相談員の幸せの方が、チアキさんにとっては大切だった。そのためにならなんだってできた。だから「俺は……君を愛さない」って、そう言ってくれたんだなと思う。離れたくない、もっと傍にいたい、会いたい、ってあんなにも想ってくれていたのに、どんなに胸が苦しかっただろう。痛かっただろう。
「幸せな気持ち」を知る前の彼なら、耐えられたのかもしれない。でも、感情を取り戻したチアキさんにとって、それはどんなにつらいことだっただろう。自分だけを愛してくれるひとを渇望していたのに、そのひとを目の前にして、手を離すことだけが自分にできることだったなんて。
離れ離れになった後、きっとたくさん泣いただろう。食事を摂れなくなったかもしれない。また空っぽになりかけたかもしれない。それでも、相談員との思い出のすべてが、折り鶴が、チアキさんをもう二度と空っぽにさせない。それらがきっと彼を生かしてくれると思った。
そして迎えたEND3。彼が死んでしまったと知った瞬間。ほんとうに目の前が真っ暗になった。ずっと幸せを祈っていると言ってくれた彼が、「もうどこにもいない」。
だから、教会を背にして立っている彼を見て、私はもう、彼がどんな職業だろうと、どんな未来を選択していようとかまわないと思った。生きていてくれるだけでいい、と心底思った。身を切られるような痛みを感じながら手を離す選択をしてくれたのだから、拒絶されるのは分かっていた。諜報員なんだから、調べようと思えば相談員がどこで何をしているのか分かったかもしれない。会いにいけたかもしれない。それでも、我慢して我慢して「会わない」という選択肢を毎日選ぶことで相談員を守り続けてくれていた。幸せを祈っていてくれた。
名前を呼ばれると、会いたくなる。我慢できなくなる。メッセージでもそう言っていたね。いつも感情よりも理性的判断を優先させていたチアキさんが、「これ以上は耐えられない」って言ってくれた。それがとても嬉しかった。
「俺は……君を愛さない」。そう言った彼が、「愛してるよ」と言えるようになった。愛している人と、一緒に過ごせるようになった。「行ってくるよ」と言って出掛けても、また愛している人のところへ必ず帰ってくると、そう思えるようになったんだ。そう思うと、嬉しくて、幸福で、これが「私の望む未来」だと思った。
(河内さんの連絡で彼のお墓を知ったのだとしたら、河内さんも五十鈴大使もチアキさんが生きていることを知っているのかなと思う。彼が自由になれるように手助けをしてくれたのかもしれない。チアキさんと相談員とをもう一度会わせてくれたのかもしれない。いずれにせよ、相談員がいない間も彼を助けてくれるひと、見守ってくれているひとがいたのだということが、とても嬉しい。)
彼との「すれ違うとき」のメッセージの中で、「それに、君ならどんなに遅れてもきっと来ると思うから」と言っていたのが印象的だった。約束の通り、想いを貫いて愛し続けてくれていたチアキさんを迎えに行くことができて本当によかった。