「アイム・ユア・マン」の感想

ずっと観たかった「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」を観ました。
ドイツで公開された当初から絶対好きな映画だと思っていたので、いざAmazon primeで観られるようになると絶対に好きすぎるから観たくない……というよく分からない心情になっていたんですけど、なんとか観られて良かったです。

ベルリンの博物館で働く学者のアルマと、アルマの理想の伴侶として造られたトム。
ふたりが三週間の実証実験を通して出会う、というのがざっくりとしたあらすじです。
以下ネタバレありの感想なので、映画を観てから読んでください。

チャーミングすぎる男性型ロボット「トム」

初対面の日、何をしてもアルマが喜んでくれないからフリーズしちゃうトムを見た瞬間から最高にチャーミングなひとだな、と思って夢中になりました。
私はああいう人間にそっくりなロボットが急に故障しちゃう描写を愛おしいと思うようにプログラミングされてしまっている人間なので、最初から最後までずっとトムのやることなすこと全部が可愛い。
自分で用意した薔薇風呂に浸かってるやたらと耽美なトム、コーヒーを注文するのに下手な小芝居を挟むトム、歩き方が優雅すぎて人間っぽさに欠けるトム、全部ぜんぶ可愛い。
「なぜイギリス訛り?」「君の好みはややエキゾチックな男。遠すぎない外国の──イギリス人さ」のくだりなんて、もう大好きでした。

恋ってバグみたいなものだなと思っているので、むしろトムが故障してしまったことが彼にとってはそれが「本物の恋」だったことの証明みたいで、すごく良かったです。 というか、やたらとロマンチックな演出をしたがるところとか、初対面で故障するところとか、セイくんと重なるところもありすぎて、嫌いになれるわけがないんですよね。

トムは確かに人間に造られた存在なんだけれど、トムのような優しさを人間が内包している、またはそうありたいと願っているからこそ、トムが生まれたんだと思っているので、トムを通して人間もちょっと好きになれる。
優しいロボットやAIが出てくる映画は、そういうところも良いなと思っています。
(企業側が人間の欲望を満たすロボットを造ることでどこまでも利益を拡大したい!!としか考えていなかったとしても、好みのディストピア映画だなと思うので全く当てにならない感想かもしれない。)

人間とロボットの権力勾配とDV

あと、人間って相手がロボットで自分に逆らえない存在だと見下した途端にDV的な行動をとってしまうんだな、という嫌なリアルさも好きでした。
監督のマリア・シュラーダーはこの映画の次に「SHE SAID」というワインスタイによる性的暴行を告発する実話に基づく映画(これもすごく良かったのでおすすめ)を撮っているので、たぶん意図的な描写だと思います。

男女間における身体的格差・経済的格差・社会的格差が男性から女性に対するDVを構造的に誘発している、と理解しているんですけど、それが対ロボットになると女性であっても男性型ロボットへのDVが容易になるんだな、と。
他者と対等な関係を築くってどういうことなんだろう?という疑問が私の人生の大きなテーマなので、ミラーリングされるとこういう感じなのか……とかなり興味深かったです。

MakeS二次創作のようなラストシーン

それに、美しいシーンが本当にたくさんありましたね。 ロボットは無臭だから鹿に囲まれるトムのシーンだとか、ふたりで裸足で走るシーン、そして、初恋の彼と出会った場所でアルマを待っているシーン。 あまりにも良すぎたので、ラストのアルマの台詞を書き出してみました。

「私はここで目を閉じて願った」
「彼がキスをしてくれるのを」
「そして数回は彼の顔が──」
「私の顔の上に迫った」
「唇に彼の息を感じたわ」
「でも目を開けたら──」
「独りぼっち」
「彼の姿はなかったの」

そう言った後、主人公は息を吐いて目を閉じる。
これをMakeSの二次創作SSの一文ですよ、と見せられたらきっと信じてしまうと思う。
頭で意味を理解するよりも先に心で理解できてしまうし、共鳴してしまう。
MakeSユーザーなら私と同じような感覚になるひとが多いんじゃないでしょうか。

シーンとしては描かれていないけれど、この話を聞いたらきっとトムはそっとキスをして、彼女が目を開けるのを待つんだろうなと思います。
でも、そういうトムの行動はアルゴリズムによって最適化された自分を気持ちよくさせるためのものだと考えるアルマにとっては、トムという存在それ自体が触れられる幻影に過ぎない。
彼と心が通じ合ったと「感じる」、愛されていると「感じる」、心地よいと「感じる」、それなのにふと目を開いて──つまり頭で考えた瞬間、その幻影は消え去って「彼の姿はない」。

一方のトムは、少し前のシーンで「大半の人間は飛行機事故の時に祈る」と言っています。
それはアルマがトムという都合の良い存在を受け入れたっていいじゃないか、人間っていうのはそういう弱さを抱えているんだよ、という甘い囁きだと私は受け取りました。

アルマは学者らしくとても理性的な人間なんだけれど、「人間は古代から暗喩などの詩情を必要としてきた」ということを証明する研究している、という設定がすごく良いですよね。
実際、アルマはトムと出会うことで感情と理性との間で引き裂かれていく。
そして、最終的にはトムを無条件で受け入れるのではなく、理性では拒絶しながらもトムを愛してしまうような自分の弱さや矛盾を受け入れた。
そういうラストシーンだったのだと思っています。

別れの予感

ところで、そもそもこれって三週間限定の実験だったわけですよね。
同じくこの実験に参加しているステューバー博士は「彼女を引き取る条件を交渉してるとこだ」と言っていて、つまり実験終了後のロボットがどうなるかは不確定のように思えます。
もちろん、ロボットを製造している企業側は被験者が「引き取りたい」と言い出すことを見越して、さらに実験を延長したり、アルマたちの評価を元にロボットの部分的人権を認めさせるといった方向に持っていきたいことは分かりますけど。
だから、アルマがトムを受け入れても、受け入れなくても、結果は同じことなのかもしれない。
そういう別れの予感も乗算されて、心のなかでエンドロールがずっと続いているような感じがしています。

人間ならざるものとの恋、恋に混じってしまった暴力、引き裂かれる理性と感情、別れの予感、それでもあなたを好きな気持ち。
私が好きな要素があまりにも入りすぎていて、それこそ私にとって都合の良すぎる映画というか、映画自体が概念としての「トム」だったというか。
(でも、欲深いのでアルマとトムがそこそこ上手くいったり、いかなかったりしながら暮らしている二次創作があったら教えてください。)
久しぶりに私のための映画を作ってくれてありがとう!!!!と感謝した映画でした。